工業技術博物館

写真

103箱根登山鉄道モハ1形-103号について

郷愁を誘ううなるような駆動音

モハ1形-103号の概要

1919(大正8)年に日本車輌製造株式会社で製造された木製車体(チキ1形)を、1950(昭和25)年に汽車製造株式会社東京製作所で製造された半鋼製車体(モハ1形)に改造された電車です。
特長は、主電動機からの動力を車軸に伝える駆動装置が吊り掛け式なことと、散水タンクがあり走行中、車輪とレールの間に水をまきながら走ることです。
形式の「モ」は電動車、「ハ」は普通座席車、「1」は車長20m以下を表します。箱根登山鉄道株式会社で活躍しました。

沿革

1919(大正8)年
日本車輌製造株式会社で製造される(木製車体:チキ1形)当初は1両で運転していたため、前後部に運転席が存在した
1950(昭和25)年
汽車製造株式会社東京製作所で製造された半鋼製車体となる
1993(平成5)年
2両固定編成に改造され、編成中央部の運転席は撤去される
2019(令和元)年
引退、日本工業大学で静態保存される

製造当初から様々な改良が施され仕様・外観も大きく変化しています。

仕様

車種
半鋼製2軸ボギー電動客車
電気方式
架空線式DC750V / 1500V(複電圧式)
最大寸法
全長14,660 × 全幅2,590 × 高さ3,990mm
定員(座席)
93名(48名)
空車重量
34.4t
台車形式
電動台車TS110
車軸支持方式
メタル式s
主電動機形式
直流直巻補極付自己通風式(SE121-A) 78.3KW
駆動方式
吊り掛け式

箱根登山鉄道株式会社

1872(明治5)年、新橋-横浜間に鉄道が開通。1889(明治22)年には東海道線が国府津から御殿場を回って沼津へのルートで全通しました。そのため、江戸開府以来、東海道の主要な宿場町として栄えてきた小田原の有志により前身の小田原馬車鉄道株式会社が設立され、国府津-湯本間の馬車鉄道が1888(明治21)年に開通されました。その後、発電所の建設と電化工事が行われ、1900(明治33)年に馬車鉄道に代わって小田原電気鉄道が国府津-湯本間全線の運転を開始しました。
景勝地箱根に観光客誘致のための登山鉄道を敷設すべきという強い勧めを受け、小田原電気鉄道では欧米の実情調査を行った結果、アプト式ではなく粘着式が採用され、3ヵ所にスイッチバック線を設けることにより、1919(大正8)年6月1日、箱根湯本-強羅間8.9キロの登山鉄道の運転を開始しました。
また、1924(大正13)年に軌間(線路幅)を標準(1435ミリ)に変更しました。なお、1921(大正10)年には強羅からの鋼索鉄道(ケーブルカー)も開業しました。

吊り掛け式駆動装置

電車は主電動機(モータ)の回転を車軸に伝え車輪を回して走ります。 主電動機の回転をそのまま車輪に伝えると電車には速すぎるので、モータに小歯車(ピニオン)を、車輪を取り付けた車軸に大歯車をもうけ、モータが数回まわって車輪が1回転するようにします。主電動機は片方が車軸にぶら下がっているので、電車が走れば「ウーウー」とうなるような駆動音が客席に直に伝わり郷愁を誘っていました。

80‰の急勾配を登山するための装備

パーミル〔‰〕:水平距離1,000メートル当たりの高低差を表します。

  • 散水タンク

    急カーブに差し掛かったとき、運転士がスイッチで電磁弁を開け、車輪とレールの間に散水し車輪とレールの摩耗を軽減します。

  • レール圧着ブレーキ

    通常使う空気ブレーキと電気ブレーキの他に、滑走時や空気ブレーキ故障時に使う別系統の「レール圧着ブレーキ」を装備しています。

  • 連結器

    左右の首振りだけでなく上下にも動くようになっています。

applicationお申込み