工業技術博物館

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2109蒸気機関車2109号について

美しいプロポーションを持つ、0-6-2タンク機関車

明治24年(1891)にイギリスのDübs and Company(ダブス社)(文久3年(1863)Henry Dübs(ヘンリー・ダブス)により創設)で製造され、日本に輸入された蒸気機関車です。2100形蒸気機関車には、同一設計でイギリスと日本で製造された2120形、ドイツ製2400形、アメリカ製2500形が存在し、この形式は鉄道院時代に制定された形式であり、その前の鉄道作業局時代には『形式B6』とも総称されていた。総数500両以上が輸入されました。そして、2100形蒸気機関車の登録順位番号は1号機が2100号です。そして、その10号機であったため『2100形-2109号』と呼ばれ、最初期のものであることがわかります。当時としては、大馬力であり、設計・性能共に優れていたため、急勾配用・貨物用や山岳線の客貨物両用に使用されました。その後は、各地の幹線に重用され、昭和30年代まで活躍するという長寿ぶりを示しました。本蒸気機関車は、後に使われなくなったスチブンソン式弁装置等を採用した貴重な蒸気機関車の中のひとつです。

2100形の機関車の番号は00から始まります。2109号は"2100形の10番目の機関車"であることを表示します。

有火運転について

平成14年4月より当博物館にて動態保存・展示しております2100形-2109号蒸気機関車を定期有火運転し、一般に公開いたします。また館内では工作機械を中心に約400点の機械・機器を常設展示しており、その約70%は動態展示しております。皆様お誘い合わせのうえ、お越し下さいますよう心よりお待ち申しあげます。

運転予定日時

蒸気機関車の運行につきましては、「NEWS&EVENTS」にて告知致します。

運転実施場所

日本工業大学 工業技術博物館前 常設軌道

特徴

この機関車の特徴は、スチブンソン式弁装置、リベット接合を用いたボイラー、特殊な加工方法等、各所に当時のさまざまな先進の技術を駆使して造られています。形態的には、美しいプロポーションが持つ、0-6-2タンク機関車です。水の積載量が多く、初期のテンダ機関車級であり、引張力も強く、引張重量は、時速32.2Km、1/100勾配で310ton、1/40勾配で155tonと設計上算定されています。なお、この0-6-2の軸配置を持つタンク機関車はイギリスでは比較的に多く採用されています。

基本仕様

シリンダ直径
406mm
シリンダ行程
610mm
缶圧
9.8kg/cm
火格子面積
1.31㎡
伝熱面積
92.2㎡
車軸直径
1245㎡
重量
39.5ton
水タンク容量
7.8㎡
燃料積載量
1.9ton
全長
10439mm
全高
3810mm
全幅
2438mm

細部の使用については、輸入当時と比べ若干の変更が認められます。

スチーブンソン式弁装置

弁装置には、初期の縦型スチブンソン式が採用されています。これは、構造が堅牢で、高速度の運転に耐え、取り扱いも容易であるなどの特徴を有しています。しかし、装置自体が大きくなりがちで、重量が増加するという理由から、ワルシヤート式弁装置に代わられ、現在では、その実物を見る機会は少なくなりました。この弁装置は、当時はイギリスやアメリカで多く採用されいますが、日本では明治時代の最先端技術と言えます。

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リベット結合を用いたボイラー

ボイラーは、熱間リベット接合で組み立てられています。内部は、過熱管がない代わりに188本もの煙管を使用しているのが特徴です。熱間リベット接合によるボイラーの強度計算基準は、労働省の現行基準から削除されており、この接合の修復作業自体が産業遺産と言えます。

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主連棒・連結棒の製作

主連棒は、ピストンの往復運動を動輪の回転運動に返還する重要な部品です。駆動に要する力が集中する主連棒は、大型部品にもかかわらず鍛鋼を用いて熱間鍛 造により形成されました。軸受部の修復は、砲金製メタルの内部に半田メッキを 施し、バビットを厚さ10mmまで溶着し、仕上げるという複雑な手法を用いました。

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焼嵌めによる動輪の製作

動輪は、車軸・輸心・外輸・釣合錘・クランクピンにより構成され、輸心と外輪は焼嵌めにより結合されています。直径1000mm以上の動輪の焼嵌めに必要な精密加工・温度管理は、現在でも未解明な部分が多い 困難な技術です。また、このような大型部品を正確に鋳造した技術も注目に値します。さらに、この動輪は、2100形蒸気機関車の中でも最初期のタイプであることを示す、非常に珍しい角型断面のスポークを用いています。

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2100形蒸気機関車の形態

側水槽をボイラー両側に設け、重量を増加させた0-6-2タンク機関車です。これにより、動輪1軸あたりの軸重を増加させて、粘着重量を増大させ、強力な牽引力を得ることができました。反面、2-6-2(先軸1・動輪3・従輪1) 機関車に比べ、先軸がないため第1動輪に負荷がかかり摩擦が激しく、また水や石灰の増減により重量バランスが崩れやすい欠点を持っています。

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文化の伝承・熟練技術者の技

平成4年(1992)に学術的文化的に重要な産業遺産として産業考古学会より設定されました。明治時代の初期の代表的なものであること、空気ブレーキ装置等を除いて、ほぼオリジナルな 姿を保っていること、製造時のメーカーズプレートを今も残していること等が認定理由です。その産業遺産としての価値を維持しながら行われた修復作業は、大井鉄道株式会社の熟練した 技術者により全行程が手作業で行われ、修復に用いられた部品の全てに手作りの物が使われた。また、実走行のための安全性も充分考慮された作業が進められました。

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略歴

明治24年にダブス社で製造され、日本鉄道が輸入して以来、時代の状況により日本国有鉄道、西濃鉄道、大井川鉄道と変遷がありました。以下に、その略歴を示します。

明治24年(1891)
イギリス・ダブス社で製造され、日本鉄道が輸入。
明治39年(1906)
鉄道国有法により、日本鉄道が日本国有鉄道となり、東北本線・中央線などで活躍。
昭和3年 (1928)
西濃鉄道に移籍。
昭和45年 (1970)
ディーゼル機関車の台頭により、廃車となる。しかし、その歴史的価値を保存する声が鉄道友の会からおこり、大井川鉄道が、これに応じた。日本の蒸気機関車の動態保存の先駆けとして千頭-川根両国駅間を運転。
昭和51年(1976)
静態保存に切り替え、千頭駅や金谷駅構内で展示・保存。
平成4年 (1992)
産業考古学会より産業遺産として認められる。学校法人日本工業大学への寄贈が決定され、大井川鉄道において動態保存のための修復作業を開始。
平成5年 (1993)
日本工業大学技術博物館で動態保存。
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