Yamamoto Kojo山本工場
この工場は、大正3(1914)年、ライオン歯磨会社の要請により東京浅草区(現・台東区)に金属瓶口、缶類等を製造する会社として創業している。また、当時、全て輸入にたよっていた歯磨きチューブの国産化を初めて実現した工場でもある。その当時の工場通覧によれば、職工数は、男子12名・女子2名であり、2機種・7馬力の動力を用いていた中堅企業であった。 この工場では、山本工場で使われる金型やジグを製作する部門を稼働可能な状態で復元したものである。かば材張りの床に、アメリカ製の各種工作機械の名品を並べた工場内の様子は、当時としては壮観で、高精度な加工が実現できたと想像できる。